白神山地 先週につづき再び妙師崎沢

白神山地の紅葉シーズン沢キャンプ第4弾として再び妙師崎沢を選んだ。 妙師崎沢は暗門の滝の上流になり、世界自然遺産登録核心地域外に位置する。 Iさん・Kさんを含む3人行である。

       
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暗門の滝への遊歩道を進む。先週よりも沢の水嵩が少し高くなっている。自宅を出たときは大ぶりの雨であったが、暗門大橋を出発する少し前に雨が止んだ。ラッキーと言うべきか。


   
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昔の杣道を辿り、妙師崎沢へ向かっている。雨上がりの暗門の谷を見下ろしている。


   
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このルートを通るたびに写真を撮っている場所が近づきつつある。左の方からゴーといった滝の音が聞こえる。


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姫小松が見えるこの場所が個人的に好きであり、このルートを通るたびに写真を撮っている。
この場所から暗門第1の滝が見えることに気づく。どこ?


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先週の山行でも暗門の滝が見えないものかと探したが、写真に見られるように滝が見えるような状態ではなかった。視線の方向に暗門第1滝があるのだが、・・・。


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江戸時代の紀行家・菅江真澄が見たであろう暗門第1の滝


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菅江真澄が暗門の滝を訪れたのも、木の葉が落ちた季節であった。現代の暦では12月半ばである。


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写真に写っている岩から暗門第1の滝が見える。岩から2mも移動すると、滝は見えなくなる。このルートを通るたびに岩の上で立ち止まり、写真を撮っていた場所だ。これは奇遇と言っていいだろう。地図的にはこの辺りになる。


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先ほどの場所から20mほど登り、道筋が平坦になった地点からも、暗門第1の滝が見えることに気づく。遠くに谷として写っているのは西股沢(通称フガケ沢)である。江戸時代は布懸(フカケ)沢と呼ばれていた。


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妙師崎沢へ下りつつある。江戸時代、妙師崎沢は岡伊知古(オカイチコ)沢と呼ばれていた。支流であった妙師崎沢が、いまは本流の沢名になっている。布懸(フカケ)沢の方でも、支流であった西股沢が本流の沢名になっている。暗門の滝の上流となる二つの沢(西股沢と妙師崎沢)には、面白い共通点がある。


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妙師崎沢に降り立つ。沢の水嵩は先週と同じぐらいだ。


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妙師崎沢を辿り、テントサイト予定地へ向かう。


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先週はナメコの幼菌がほとんどであったが、きょうは成長したナメコが見られる。


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大岩を飲み込む大木?


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昨日からの雨のため、にわか滝があちらこちらに出来ている。


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妙師崎沢を訪れるたびに撮っている滝


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テントサイトに着き、昼食とする。


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昼食後は散策へ向かう。


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各人、思い思いの方向へ進む。


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妙師崎沢の本流を進むと、先行のIさんがいた。青空が見え始め、気持ちが和らぐ。


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テントサイトから1時間ほど歩くと、この滝が見えてくる。このあたりで折り返そう。他の二人もテントサイトに戻っているころである。


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翌朝は晴れ、のんびりしながら杣道を戻る。写真に記載した位置にアクアグリーンビレッジ暗門があるが、この角度からは見えない。


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暗門の滝への遊歩道に戻ってきた。遊歩道が出来る前は、ここに吊り橋があった。人々は吊り橋を渡って右岸から左岸へ移り、左岸の山腹を巻いて暗門の滝へ向かっていた。暗門の滝への遊歩道が開通すると、山腹を巻いて滝へ向かう山道は観光に使われなくなった。吊り橋より下流側となる右岸の山道は「ブナ林散策路」として残っている。一方、吊り橋の土台や支柱は今も残っており、支柱が写真に写っている。


記録


付録


白神山地の紅葉シーズン沢キャンプ・シリーズ(2012年)



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